当霊園には埼玉県鳩山町の文化財として指定されている地蔵菩薩様が安置されています。お顔は「入定相」と言われ、深く瞑想されている表情を表しており、左手に宝珠、右手に錫杖を持ち、胸には金属製の瑶珞が飾られています。
「熊井忠基」縁の菩薩であるとも伝えられております。
伝えるところによると、比企郡鳩山村熊井に、源義経に仕えて名を残した熊井太郎忠基が冑鎧を埋めた鎧塚と呼ぶ塚があるとされています。
熊井忠基はかつて義経に仕えており、義経と頼朝の関係が悪化した際、追われる身となった義経主従をあるいは、義経の正室を必死に捜索し約10か月後、追捕の手を逃れながらようやく義経の元に到着しました。
それは、熊井忠基の願いが叶った瞬間でした。
その後討伐された義経の最期は誠に痛ましく、正室と4歳になる娘共々、刺し違えた上に火を放ったものでした。そのことを供養したものか当山妙光寺には「地蔵菩薩」様が伝わっており、熊井氏一族が寄進したものであろうと考えられています。
当山では、古よりこの縁起に因み「必勝祈願」「心願成就」を祈願する寺として、ご本尊である「大日火炎不動明王」様に向かい真言密教独自の実践である護摩修業を勤修しています。