周辺環境

自然に囲まれた静寂な空間鳩山春秋の里霊園は故人様とゆっくりお話しができる場所です。

当霊園は熊井山 妙光寺にございます。
当山の北面は比企丘陵特有のなだらかな丘になっており見晴らしが良く、鳩山の田園風景が広がっています。

周りは山に囲まれ、雑音の無い静かな景観の中、訪れた方が墓前で故人様にお伝えしたかったことを落ち着いてお話しいただける霊園です。

また、当霊園周辺は熊井に残る様々な歴史が残された場所ともされています。

熊井城跡が発掘された由緒のある古寺 妙光寺

当山は鎌倉中期の文永元年(1264年)、紀州(和歌山県)根来寺の大伝法院で
真言密教を修めた名僧竺翁が、地元の有力武士・熊井氏に貇願され開かれたお寺です。

地方の有力な郷士熊井氏の強い懇願によるもので、一時は熊井氏をはじめとする
地元の有力な氏族の菩提寺として、大いに繁栄しました。

近年、「城添遺跡」として鳩山町教育委員会より本格的な発掘調査が行われ、
その結果、熊井城跡と称される舘跡と土塁の一部、
また、江戸時代の領主・内藤氏が延宝7年(1679年)に築いた陣屋跡などが
発見されました。

その他、百余基にもわたる板碑(板石塔婆)などの
遺物も多数発見されており、当時の繁栄ぶりを物語っています。

鎌倉の時代より連綿と続く由緒ある地で、当霊園は静かに佇んでいます。

鳩山町指定文化財 地蔵菩薩

当霊園には埼玉県鳩山町の文化財として指定されている地蔵菩薩様が安置されています。お顔は「入定相」と言われ、深く瞑想されている表情を表しており、左手に宝珠、右手に錫杖を持ち、胸には金属製の瑶珞が飾られています。
「熊井忠基」縁の菩薩であるとも伝えられております。

祈願寺 妙光寺

伝えるところによると、比企郡鳩山村熊井に、源義経に仕えて名を残した熊井太郎忠基が冑鎧を埋めた鎧塚と呼ぶ塚があるとされています。
熊井忠基はかつて義経に仕えており、義経と頼朝の関係が悪化した際、追われる身となった義経主従をあるいは、義経の正室を必死に捜索し約10か月後、追捕の手を逃れながらようやく義経の元に到着しました。
それは、熊井忠基の願いが叶った瞬間でした。
その後討伐された義経の最期は誠に痛ましく、正室と4歳になる娘共々、刺し違えた上に火を放ったものでした。そのことを供養したものか当山妙光寺には「地蔵菩薩」様が伝わっており、熊井氏一族が寄進したものであろうと考えられています。
当山では、古よりこの縁起に因み「必勝祈願」「心願成就」を祈願する寺として、ご本尊である「大日火炎不動明王」様に向かい真言密教独自の実践である護摩修業を勤修しています。

霊園内外ギャラリー

交通アクセス 歴史ある熊井山
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